フライフィッシングの母と釣りの聖書を知っていますか?
実はフライフィッシングには、相当古い歴史があるんです。
なんと、紀元前まで遡っちゃうんです。
文献に記載が残っていたのは、2200年ほど前の古代マケドニアという時代のもの。この文献にローマの詩人がこういうことを記しています。「赤い毛糸と鶏の羽根を使って巻いただけの釣り針で魚を釣り上げた」と…。
フライフィッシングに興味があるのなら、どんなものか見てみたいですよね。
世界で最初に作られたフライですよ!
今、もし現存すればどれだけの価値になっているのでしょうか?
そしてその時に釣られた魚、どんなものか見てみたいですよね!?
興味津々です!
この文献が、フライフィッシングでは最古の記録ですが、実質的なフライフィッシングの時代が始まったのは、15世紀の末。文献記載後の約700年ほどたった頃のことです。
イギリスの歴史
フライフィッシングの発祥は、イギリスなんです。
私は、てっきりアメリカで始まったものなのだとばかり思っていました。
結構、私自身アメリカかぶれなところがあるのでそれも関係しているかも(汗)
イギリスでのフライフィッシングの歴史は、面白いです。
実際のところ真相はわかりませんが、イギリスで当時、修道女であったジュリアナ・バーナーズという人が始めたそうです。
ジュリアナさんは、川で魚が食べていた昆虫を観察して、それを上手くイミテートしたフライをこの当時で12パターンも考案したんだとか。
そしてなんとロッドもフライラインも手作りだったそうですよ。
当時のラインは、今のテンカララインのように、馬の尻尾の毛を縒り繋いだラインだったみたいですね。
ホースヘア・ラインと言っていました。
そして自身の経験を元に、フライのマテリアルやデザインに関して体系的にまとめて発表したんだそうです。
すごいですね!
論文をまとめたのですね。
「Treatise of Fishing with an Angle」という論文になっているようです。
1496年に発行された「The Book of St.Albans」という本の中にこの12パターンも紹介されているということです。見てみたい!!
私が驚いたのは、一番始めにフライフィッシングを始めたのが女性だったと言うことですね。てっきり男性かと…。
完全なる思い込みってやつですね。
それにこの方は、フライフィッシングの母とまで崇められている人なんだそうです。
そして、生まれは高貴で美人だったらしいです^^
でも、実際には実在しなかったとも…。この辺は…、謎にしておきましょう。
当時は、まだリールはありませんでした。
ですのでたぶん、今の日本のテンカラを思い浮かべると当時のシステムを再現できるのではないでしょうか?
でもシステムの内容に関しては、現在のものと原理的にはほとんど変わらなかったようです。
そして一番重要だったのが、フライパターンで、イミテーションを徹底して追求したものでした。
その後、17世紀になってフライフィッシングの専門書がたくさん発行されました。
その中でも、アイザック・ウォルトンとチャールズ・コットンの二人によって書かれた「釣魚大全」という本は、現在でも世界中で翻訳されて、幅広く読まれている名著です。
この本は、なんだか『釣りの聖書』と言われていて、この本を知らないのは釣り人として、恥とさえ言われる本なんです。
とアマゾンでは説明していますが…
私、正直フライフィッシングを知るまでこの本の存在自体を、全く知りませんでした。そして、本の購入もしていませんでした(恥)。
この中に紹介されているフライがあるそうですが、ほとんどがジュリアナさんが考案されたものと同じようなものみたいですね。
1653年ロンドン刊。
もう360年以上も前になるのですね。
この本は日本語にも翻訳されています。
私も早速アマゾンで購入しましたよ。まだ、届いていません(汗)
ご存じの方は、手に持たれている方も多いのではないでしょうか?
でも、本当に360年以上も経った現在でも読まれているなんてすごい本ですよね。
超大ロングセラー。
もしあれば印税ってどのくらい…。
ん? すでに…。失礼しました(汗)
そうそう、第5版(1676年)になってからフライフィッシングのページをチャールズ・コットンという人が新たに加えたそうです。
ということは、最初はフライフィッシングというページはなかったのですね。
それに最初は、アイザック・ウォルトンが著者だった?ってことで、後でチャールズさんが加わったって事ですよね…。
でですね。フライフィッシングが開花期を迎えたのは、19世紀から今世紀の初頭にかけてです。
そしてフライフィッシング専門のメーカーも創立されたり、フィールド学などの研究者やフライフィッシングのアングラーが数多く出てきて道具なども急速に進化しました。
当時は、常にイギリスが原動力となってフライフィッシングが発展してきたようです。でもどんどんと主導権は、アメリカに移り変わっていきます。
アメリカの歴史
現在では、フライフィッシング業界では、トップと言える主導権を握っているアメリカ。その歴史について少し見てみたいと思います。
先にも書きましたが、私はどちらかというとイギリスよりもアメリカの方がフライフィッシングっていうイメージが強かったんです。
と言うか、恥ずかしいのですがなんでも、本当に「西洋のものはアメリカ!」みたいな発想がありました。
好きだったんですね。アメリカという国が…。
仕事もアメリカでと言う大きな夢だけはありました。
自分が幼稚なだけかも知れませんが(汗)
アメリカでのフライフィッシングは、この釣りが伝わった初期の頃からイギリスの影響を強く受けていましたが、T・ゴードンと言う人が今から100年ほど前に、フライと言えば「クイル・ゴードン」と言われるような伝統的な名パターンを発表してから、アメリカは独自の路を歩み始めることになります。
T・ゴードンは、それまで主流であった、ウエットフライからドライフライへとフライを移行させました。
これが彼の果たしたアメリカでの最大の業績ではないでしょうか?
彼は、イギリスの模倣だけをするのではなく、アメリカという、地域独自のフィールドを研究して、アングラーとしてだけではなく、研究者としても名が高かったようです。
だからこそアメリカにドライフライを広めた大功労者として、そのパターン名「クイル・ゴードン」とともに彼の名前も今でも歴史に残されているんですね。
そして大切な19世紀中頃。
この頃からフライロッドがどんどんと変革し始めます。
その第一歩として木製のロッドから、よりしなやかな竹製のロッド(バンブーロッド)に変わっていきました。
そして、それから100年後には、またグラスファイバーロッドというものが開発されました。
それと平行するようにフライラインも同じように発達をしていき、バンブーロッドが現れたのと前後して、フライラインも馬の尻尾からシルクへと替わっていきました。
今でもバンブーロッドとシルクラインを好んで使用する人は多いです。
私も予算的に合えば、ぜひ一度は使ってみたい品物です。
バンブーロッドって結構みんな憧れているのではないでしょうか?
それにフライマンは一度は、自分で自分だけのロッドを作ってみたいと思っている人も多い事でしょう。
私もそんな一人だったりします。今は、良いカーボンのブランクが手に入ったので自分の名前入りのロッドの自作を考えています^^
また、話しがずれました。
またナイロン製のテーパーラインがグラスファイバーロッドと同時期に開発されています。
こんな感じで、どんどんと道具類が発達をして、技術面、技能面もともに、アングラー達の努力の甲斐があって、本当に一気にフライフィッシングとして体系化されて、隆盛期を迎えた感じなんですね。
日本の歴史
さて、では日本のフライフィッシング事情はどうだったのでしょうか?
これも文献などからしかわかりませんが、ちょっとだけ見ていきましょう。
日本で初めてフライフィッシングが紹介されたのは、明治時代初頭の頃だったようです。そう文明開化の時代ですね。
いろいろとゴタゴタが多かった年代でもあります。
欧米の思想、文化・風俗などを積極的に取り入れていた時代と、日本の伝統を守ろうとしていた時代。
イギリスのブリタニカ社が発行した「エンサイクロペディア」という、大百科事典があります。
この大百科事典の中にフライフィッシングを記した部分があって、日本語にも翻訳されていましたが、まだ一般の人達が買える値段でもなかったくらい高かったでしょうし、興味を持つ人も少なかったのか、日本で広がることはあまりなかったようです。
フライフィッシングは、上流貴族を中心とした一部の物好き(失礼)の密かな楽しみのひとつに留まって、これが戦後まで続きました。
昔の映画にフライフィッシングなんて、登場したことはなかったですものね。
フライフィッシングの映画と言えば、先日も確か書きましたが「リバー・ランズ・スルー・イット」この映画が出てきてからでしょうか、全世界的に熱狂的に広がったのは…。
日本でも一時的に、フライマンが随分と増えたようです。
それ以前で、フライフィッシングが本格的な広がりを見せたのは、1970年代に入ってからです。
1970年代に先に挙げた、アメリカのあるメーカーがロッドをカーボングラファイト製、そしてラインにプラスティックコーティング製と新しい素材を使ったものを開発したので、今までよりも手軽に簡単に、そして遊びとして、日本だけで無く世界中で広がりを見せました。
日本の国内でフライフィッシング熱が高くなったのは、本当に少ない数のパイオニア的な人達によってもたらされたと言っても過言ではないでしょう。
またその人達がいなかったら、こんなに広がることもなかったかもしれませんね。
例を挙げれば今はもう亡くなられましたが、「西山徹」さんなどが有名ではないかと思います。
あと、ご存じの方は知っているかと思いますが、私の中では「しばた和」さんなんかも多大な貢献をされた方ではないでしょうか。
もちろん他にも沢山の方がいらっしゃいます。
そして、その方達によって、日本のフィールドにも合う!
そして合理的な上に実践的な釣りである!
ということが実際にわかって、どんどんと日本の中で成長していったのだと思います。
とくに1980年代に入ってからは、先駆者達によって日本型フライフィッシングと言ってもよい独自のスタイルができあがりました。
以上、簡単にフライフィッシングの歴史を書いてみました。
また、わかることが出てきたら追記するかも知れません(汗)